第三章 ボクシングの父・渡辺勇次郎
日本のボクシングが本格的なスタートを切るのは大正に入ってからとなる。
15年間のアメリカ生活を終えた渡辺が「ボクシング」という新しい競技とともに横浜港に帰国したのは、1921年(大正10年)の1月のことだった。
それから約1年後の大正11年(1922年)秋、選手の目標をつくるために日倶はチャンピオン制度を制定した。最初は2クラスで、ジュニア・フェザー級(現在のスーパー・バンタム級)の荻野貞行、フェザー級の横山金三郎に勝った者をチャンピオンに認定するとして対戦者を募集したが、申込者がなかったため荻野と横山がそのままチャンピオンに認定されたという経緯がある。 CopyRight 2008 Japan Pro Boxing Associations, All rights reserved. |