ボクシングの伝来と協会の歴史

第二章 ペリー提督によって日本に伝来

日本のボクシングは、渡辺勇次郎が東京・下目黒に「日本拳闘倶楽部」を設立した1921年(大正10年)12月25日を始まりとするのが定説である。
しかし、これより以前にもボクシングと思しきものが日本でも目撃されている。もっとも古いのは19世紀半ば、ペリー提督の来航時のものだ。

いまから150年以上も前の1853年、浦賀に来航したペリー提督は江戸幕府に開国を迫り、翌1854年、今度は横浜に約500人の兵士を上陸させた。

幕府は、下田と箱館(現在の函館)開港や下田にアメリカの領事を駐在させるなどの条項が織り込まれた日米和親条約を締結。条約締結後まもなく、ペリー提督は即時開港となった下田に黒船7艘を集結させ、軍楽隊や水兵約300人を従えて上陸した。

こうしたペリー提督来航の際、船上で屈強な水兵たちが拳に薄皮布を巻いて殴り合う様子(スパーリング=当時の呼称は「スパラ」)が再三目撃されたというのである。これが日本に伝えられた最初のボクシングとされる。
ペリー提督が横浜で和親条約締結を迫った際には、幕府側が召集した力士(大関・小柳常吉)と、アメリカ側のレスラー&ボクサー計3人が“異種格闘技戦”を行ったという史実も残っている(勝負は小柳の圧勝)。

1850年代というと、まだイギリスで「クイーンズベリー・ルール」が定められる以前のことである。

ところで、日本で最初のボクサーは誰なのか――これも諸説あるが、もっとも有力とされるのが浜田庄吉という人物だ。
もともと力士だった浜田は親方と摩擦が生じたのを機に、後輩の相撲とりや柔道家を連れて渡米。現地でボクサーやレスラーと他流試合をしてまわったのだとか。
そして3年後に現地のボクサーやレスラーを伴って帰国したといわれる。明治17年(1884年)〜21年(1888年)ごろのことである。