第二章 33年前にはNYに初の女性ジャッジ誕生
戦う女性がいるのだから、試合を裁く女性がいてもいい。 同じ75年、ラスベガスのある米国ネバダ州ではキャロライン・スベンセンが同州初の女性プロボクサー・ランセンスを認められ、翌76年にはカリフォルニア州でパット・ピネダが初の女性プロボクサーとしてライセンスを受けている。
70年代後半になるとキャシー・“キャット”・デービス、シャリー・“ゼブラ”・タッカー、マリアン・“タイガー”・トリミアーらがニューヨークでライセンスを取得したが、これは女性ボクサーを認めるか認めないかの訴訟のすえに勝ち得たものだった。
女子ボクシングにとって80年代と90年代初頭はライセンス発行を巡る法廷闘争の年代だったといえるだろう。アメリカだけでなくイギリスなど世界各国で女性ボクサーが戦う権利を主張、その多くが勝利を収めている。
ことに90年代以降、女子ボクシングを世間に広く認知させたという意味においては、クリスティ・マーチン、ミア・セント・ジョン、ルシア・ライカ、そしてレイラ・アリらの名前を挙げることができる。ちなみに現在、世界中で活動している女子ボクサーの数は1000人を超すというデータもある(BOX REC)。 21世紀に入ってWBA、WBCなど主要統括団体が女子の世界タイトルを認定したのは、そうした時代の流れに沿ってのことといえよう。 CopyRight 2008 Japan Pro Boxing Associations, All rights reserved. |