ボクシングの伝来と協会の歴史

第三章 日本最初の女子試合は昭和25年

明治、大正、昭和、平成の時代を生きたボクシング評論家、郡司信夫氏が著した「ボクシング百年」(時事通信社刊)によると、日本における女子ボクシングの歴史は大正年間にまで遡るとされる。
米国シアトル生まれの女優、砂田駒子が夫フランク徳永とともに大正12年(1923年)ごろ、日本拳闘倶楽部(日倶)でトレーニングしたのが最初ではないかというのだ。

昭和7年(1932年)には石田正子という大柄な砲丸投げ選手が日米拳でトレーニングを積み、男性ボクサーとのスパーリングでも五分に渡り合ったと伝えられている。この石田は日比谷公会堂で男性ボクサーとの試合も決まっていたが、前日になって警視庁条例に違反するとして出場が取り止めになったのだとか。時代を象徴するような出来事といえよう。

実際に女性が試合をした例となると昭和25年(1950年)11月19日、広島で行われた石倉節子対菅間和子の2分×4回戦であるとされる。当時、石倉は22歳、ユニオン・ボクシングクラブに所属し、ジムでの練習期間は約1年。対する菅間は北大阪ボクシングクラブ所属の18歳。こちらの練習期間は1年に満たなかったと伝えられる。

この両者は翌昭和26年(1951年)1月2日、日比谷公会堂で再びグローブを交えている。以下は、「ボクシング百年」における郡司氏の“戦評”である。
「試合は胸に乳あてをしてやるが、スローモーションでスピードはなく、男のボクシングと比較し得るものはなにもない。ことに鼻血などを出すと男性のものよりも残酷に見えて、ショーとしても低調なもの。『男性とは試合しない』と声明したが、男性とやれる代物ではない。両者とも左ジャブ、右ストレートなどで戦ったが、二分四回戦を引き分けに終わった」

この石倉と菅間は、以降も何度かエキジビション的な扱いでリングに上がってグローブを交えたというが、公式試合としての記録は残っていない。