ボクシングの伝来と協会の歴史

第四章 「見るスポーツ」から「やるスポーツ」へ

これより20年以上経った昭和49年(1974年)4月、埼玉中央ジムの27歳の女性トレーナー、高築正子が後楽園ホールのリングに上がり、同ジムの男性ボクサーと2ラウンドのエキジビションを披露した。こちらはスピードもバランスも素晴らしく、リングサイドの常連を唸らせたほどだった。

高築以降、ボクシングの動作がスポーツジムのエクササイズに取り入れられるという時代の流れなどもあって、ボクシングは女性にとっても「見るスポーツ」から「やるスポーツ」に部分的に変化していったといえる。
1980年代に入ると、積極的に女性会員を募るボクシングジムも増え、相まって女性の練習生は年々その数を増加させていった。

1990年代になると海外のビッグマッチのアンダーカードでクリスティ・マーチン(米)らが激闘を展開し、それがテレビで放送されるにおよんで女子ボクシングの認知は一気に高まった。日本でも女性専門のボクシングジムが開設され、また女子ボクシングのスパーリング大会が開催されるなど、新たな動きが現れる。

こうした流れのなか、90年代後半になると日本の女子ボクシングは独自の団体を立ち上げ、JBCの管轄外において興行と試合を行うまでになった。やがて2分×10ラウンド制で日本チャンピオンも誕生させた。
21世紀を迎えるとアマチュア・ボクシング界も女性に門戸を開放することとなり、型認定を採り入れるなどして競技の振興を図っている。

数々の認定団体が乱立する女子ボクシング界だが、06年には菊地奈々子がWBC女子ストロー級(ミニマム級)タイトルを獲得するなど、「大和撫子」の近年の活躍ぶりは目を見張るものがある。