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1945年(昭和20年)4月19日、北海道出身。
TBSテレビと極東ジム共催の「ボクシング教室」が輩出した世界チャンピオンとして知られる。62年7月、プロデビュー。 65年4月、24連勝で東洋スーパー・フェザー級タイトルを獲得。67年6月、フラッシュ・エロルデ(比)を15回判定で下して世界スーパー・フェザー級タイトルを獲得。初防衛戦で小林弘との日本人対決に敗れると、70年にはWBCで王座奪回を成し遂げる。 このタイトルはラウル・ロハス(米)に劇的な逆転KO勝ちを収めるなど3度防衛後、71年10月、リカルド・アルレドンド(メキシコ)に敗れて失った。 「精密機械」の異名があったが、ノーガードや変則的なステップなど、教科書からそれた戦い方を多用した右ボクサー。戦績は55戦44勝(12KO)8敗3分。 引退後は東京・清瀬市で「沼田ボクシングジム」を主宰。 |
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